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健康談義2018/08/9
 わたくしは無神論者で、神や仏を信じたことはない。
念仏や仏壇に手を合わせるのは、形式にとらわれそんなものだと教えられているからだ。しきたりとか習慣といえるかもしれない。
 瞑想もどちらかといえば、そんな領域のちょっと先に行けるものだと思っていた。
瞑想が、「死後の世界は存在するのかどうか」という疑問に答えを出してくれる。

人間遅かれ早かれ生まれたら必ず死ぬ。死後の生活や世界があるという証拠はない。
「肉体は死んでも存在は持続すると信じているほうがいい」と瞑想が教えてくれる。
信じていることで、決して損はしないという絶対的な信念を持ったほうがいい。

 死後に生があると信じていて、もしもその通りだったら、その後も存在していく心の準備ができているだろう。その上この世にいる間にだって、不滅の意識が存在するという信念が、信仰心や生きる支えになる。
 意識の存在を信じていて、万一それが間違いで死の後、まつたく「無」だったら、永遠に自分の過ちに気づかなくて済む。死後の存在を信じていなかった場合、何ものこってないのだから、自分が正しいとか満足感も味わえない。死んでびっくり、なんの心構えもできていない。死後の生を信じていれば、生きている間に得られたものさえ手に入れそこなったことになり、得することは何もない。
 瞑想者の世界観が正しかろうが間違いだろうが、それを信じていることで、この人生をもっと大きな自信をもって歩くことができる。
まだまだなんだか分ったようで、わからない複雑な気持ち。だが何かが生まれてくるようだ。

 
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