健康談義2015/09/01
臆病、引っ込み思案、心配性などかなぐり捨て、知性と良識に従って、自分の思うがままに積極的に行動すべきでしょう。でも知性と良識の範囲が難しい。どうしても負けてしまうのだ。それが当たり前の普通の人間なのかも知れない。


 病院に入院した経験は24歳の時、交通事故で入院して以来のことだ。
バイクで仕事に急ぐとき、岡山市街の中心にある柳川交差点の近くであった。南から交差点に入る手前、左手がストリップ劇場、右手がダイエースーパーがあった。ストリップの看板を見ながら運転していたから、前方不注意で事故を起こした。先輩や支店長から冷やかされていた。当時の看板は派手に絡みの凄い看板だったといまでもはっきりと記憶している。
 前方右手から、私の直進方向に急激に曲がりこんできたオート三輪車の横っ腹に衝突、気が付いたのは、近くの病院のベットの上だった。
 全身打撲で全治1ヵ月だったが、1週間ぐらいで医者の許可もなく退院した。

 たまたま同病院に同郷の下級生が看護婦として働いていた。見た顔だなとは思っていたが彼女が同郷の下級生とは気が付かなかった。成人した女性となった彼女なかなかの美人で子供の時の印象と大きく変わっていた。
 
 同期入社が5人、病室によくやってきては仕事をさぼっていたが、エロ本ばかり買ってきて置いて行った。何もすることはないダダ寝ているだけの入院生活ほど、つまないものはない。あの若さで一日中ただ寝ているなんて、苦痛でしかなかった。暇つぶしにエロ本にすぐ手が伸びる。すぐにエロ本に即反応する若さにあふれかえっていた。当時は、おっぱいも恥毛も、掲載禁止。それでも今よりは強烈に感じたのは、当たり前とか常識の世界でないはなかったからだろう。雑誌などのトップを裸で飾ることは始まったばかり珍しかった。まだ異性を知らない初心な若者だったように思う。

 暇つぶしにそれを楽しんでいた時に、突然に看護師が部屋に入ってきた。あわててエロ本を布団の中に隠して検温、脈拍など見られたのだが
「今日は異常に脈がおおいですね・・・どうしたんだろうと???」
かわいい顔を怪訝に曇らせていたこと、今でも思い出す。言っては置くがその娘とは、ただそれまで、以上の発展はなかった。

 あれから半世紀ぶりの入院です、もうあのちょっとした感動、感激は望むべきもかなわず。と思っていたのだが、淡いかすかな感激場面があったのです。

 毎日看護師が昼と夜の担当が変わって検温、脈拍。聴診器検査などやってくれるのです。朝の通勤時に目にしたとき以来だろうか、目前に若い肌が見えるのです。目の前2~30センチに若いぴちぴちのきめ細かいきれいな肌が見える。毎日看護師の着ける仕事着。ピンク、赤・青・・・働きやすいように体にマッチしたスタイルです。あの私のイメージにある白衣の看護婦はどこにも見えなかった。

 あの理研の小保方割烹着姿、アレは当初やらせとも思っていたが、確かに研究者には、袖をあげて働きやすいのは確かだ。割烹着の看護師は見かけなかったが、自分の好みで気分や気候などに合わせて、毎日仕事着を替えるなんていいことですね。クールビズとも言えそうだが、むしろ私には、なんだか熱い体温が迫ってくるようだった。

 術後は、全身を洗ってくれて、妻にもあまり触らせなかったところも、洗ってくれたのです。気持ちよかったが、変な考えも湧かず反応は全然なし。身体に穴をあけられて管が何本も身体に通じていて、淫らな感情なんて、起るわけもありません。ただ看護師のなすがままに体をゆだねていた。たださっぱりときれいになって気持ちがよかっただけ、あの時の気持ちは、また違った純真な気持ちの良さでした。

 こんな若い人に体をゆだねること、病人でなくてはかなわない。なりたくてなったわけではないのに、
 検温の時に、もう彼女の顔や胸が眼前に迫りくる・・ムーンムーンと強烈パンチ雨あられと・・・はち切れるような若さに素晴らしい。圧倒されて思はず目をつぶってしまう。目をあけていたいのだが、それがかなわない男の弱さ。そんなことが一つの楽しみになっていました。なんてその程度ど・・・くだらんとおしゃらないで、この程度でいいのです。これで若さが少しでもいただければ、それでいいのです。
 
 男は顔よりは胸のふくらみを、大小を一番に彼女に求めるのだそうです。顔ではなく胸がでかいのが一番なのです。胸の間に挟まれて苦しめられたい欲望があるのです。生まれた時の赤ちゃんがおっぱいを元気に吸う。あの感覚がいくつになっても男には忘れられないのです。憧れであって願望なのです。その感覚を忘れないで持ち続けることこそが健康長寿の一つの秘訣なのです。
 
 芸能人で歳が20~30歳以上も若い女性と再婚する人の気持ちがわかります。男って若い女性のほうがいいのです。これが若さを保つ秘訣なのでしょう。健康で長生きする人は常にポジティブに考え行動します。恥ずかしいとか、こんなことをすればことわられるなど、びくびく先に心配をするようではだめなのかもしれません。今頃わかっても遅すぎる。遅きに失したとは思ってもまだまだと思うのが男の心情なのです。

 臆病、引っ込み思案、心配性などかなぐり捨てて、知性と良識に従って、自分の思うがままに積極的に行動すべきなのでしょう。でも知性と良識の範囲が難しい。どうしても負けてしまうのだ。それが当たり前の普通の人間なのかも知れない。我々にはときめき心が一番必要なのだ。

 

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