2017/01/24

「私はいつの間にか絵かきになっていた」の続編、出して、くださいよ」と、電話してきた、唯一、まだ、現役で小学校の先生をやってる同僚からの電話だ。
「なんで、また、そんなこと言うのや」、と、ゆうたら、「あかんねん、今の、若い先生ら、昔の、佐藤先生のように、外へ出ないんや」「何にも悪いこともせん、真面目、だけや」
「へー、そりゃー、学校からしたら、管理しやすうて、ええがな」、というと「それが、あかんのや、反って、怖いのや。」そういう、 真面目ばっかしが、本当に、あかんのや。
「そういうけど 、わし、毎日、必死やったぜ。まだ、勤務時間中じゃ、ないかって、学校の校則、犯してるや、ないかって。」
「そや、そういうもんが、事故、おこさんのや」
「うちの先生は、皆、若返って、35歳になったら、もう、爺さんなんや。ほんまに、若い子ばっかしやねん」「それがなあ、皆、教室に閉じこもって、出て来ないんや」、「可笑しいと、おもやへん」
「まあ、言われて見たら、そうやなあ」
「わし、先生の、この前の本、読んどって、思いついたんや」「何おう」「先生に、続編を、書いて貰おう、思うて」「もっと、どんどん、書いて欲しいんですわ」
「そうかなあ、そういうもんか、知れんなあ」。
「もっと、自由さが、要るんや、あの頃は、佐藤先生が 、先頭に立って、外へ出てくれたもんや、けど、今は、だれも 、出ん。教室から出ないんや、」「
佐藤先生が、出てくれたさかい、わしらも、気がねのう、出れた」、「それが、今は、全く、出ていかんのや」、 「研究会も、あい変わらず、水曜日で変わらん」けど、「何れもこれも、採点ばかり、しとるわ。しゃべる奴は、いつも、おんなじや。」、「しょうもないことばっかり、言うとる」。
「あんたは、そこへ、いるんか」。「わし、もう、正規の、職員や、ないねん。・・」「ほうか、もう、外へ出たんか」「それでも、全部に関わっとるから、ときどき、出席してるんですわ」。
「ほうか、あんた、今、歳、何ぼや、64や。そうか、よう、居らして、もらえとるんやなあ」
「わし、ガキ、まだ、高校やねん、もう、チョット、はたらかな、いかんねん」「大変やねんなあ」

そういえば、彼は、二度目の嫁さんだったっけ。前妻に、二人の子供がいた。後妻さんに、二人で、家、二軒、建てた。偉いなあと思う。しかも、後の嫁はんは、同じ学校の先生だ。彼らしい、生き方しか、できない、不器用といえば、言えんこともない、まっすぐの先生だ。
今、やっと、「野菜だけは、自給自足できるようになりましたわ」と言っていた。京大の、農学部を出て、入った時は、担任をして、しばらくしてから、理科の専科、その頃から、学校の隅を、開墾していたが、いつの間にか、立派な、農園に、してしまった。
今や、「あの学校が、農業を、教えとると言うことで、有名になり、彼は、学校を、辞めるに辞められなくなったというのだ。学校は、それを売りものに、しようと、本気になったようだ。
今は、百姓のおっちゃんになり切ってるみたいだ。
いろんな奴がいるものだ。

私が彼と一緒に、いったところで、石川県に、流れる、九頭竜川の源流がある。毎夏、子どもたちを連れて、岩魚取りに、行く時、いつも、連れて行って貰っていた。九頭竜ダムから、まだ、上へ上り詰めて、川が細く、なったところに、テントを張った。源流だけあって、熊を捕る仕掛けなどが、川に、流れこんでいた。ここには、強烈な、アブが住んでいて、それに、襲われたら、地獄を体験することになる。その、恐ろしい、アブに、私は、襲われたのだ。
私は、はじめ、全くの、予備知識を、持っていなかった。それで、何も、知らずに襲われた。岩魚を追って、上流域に、のぼって行く。水の中だから、大丈夫だった。気がついたら。500メートル以上は、のぼっていた。はじめ、まだ、気づかれてなかったから、上きげんで、帰路につこうとした。
しかし、ものの、50メートル、行くか行かないところで、例の、アブの第一団の、大群が襲って来た。まるで、蜂の大群と、変わりはない、
しかし、逃げようにも、逃げるところがない。彼らは、身体中の熱の、あるところを襲う。熱のあるところといえば、頭の丁天と、股ぐらだ。ここへ、ハチよりも、チョッとは、小さいが、ハエより大きいのが、黒黒とたかる。
どんな痛みかといえば、スズメバチに襲われたと同じ感じだ。勿論スズメバチだったら、気を失なうところだが。そこまでは、いかない。しかし、ハエのように、すずなりだ。
私は、走りだした。もう、気が、狂いそうになった。まさに、地獄だ。つかんでは投げ。また、つかんでは投げ、したが、その集団はどんどん、増えて、まるで、雲のようになるのだ。もう、私は、完全に、包囲されて、目、口回り、耳の中、鼻の中、全て、穴という穴は、占領されて、雪だるまになったというよりも、ハチだるまになった。完全に諦めて、しかし、むしろ、悠々と歩き出した。体力がないのと悟りの境地とでも、言うのか。どうでもなれ、という状態だった。

やっと、私の、ボンゴの車が、見えた。私は、最後の力を振り絞って、走った。そして、ボンゴの後ろの、座席に崩れるように、倒れた、倒れたと、同時に、ドアを、閉めた。
すると、私と一緒に飛び込んだアブの連中は、おそらく、200匹を越えたと思う。それよりは、アラレ玉のような、ポンポンと音が止まないのだ。しばらくして、解った。まだ、私を、追って、いたのだ。まるで、特攻隊のように、突き当たって、自爆するのだ。彼らは、目は、見えなかったらしい、ただ、熱のある方へ、盲目的に、突進するのだ。軍団を、作って、雲の塊だ。凄い、凄まじさだ。
あの、すさまじさは、岩魚取りよりも、何よりも、衝撃的だった。

私は、その年に、38センチの大物をヤスで、突いた。底に,潜んでいた奴を3メートルの底で、見事に、捕らえた。後にも、先にも、そんな大きな岩魚は、はじめてだった。ダムがあるために、ダムに居着いた、大物だったのだ。

岩魚取りに行って、ひとつ、不思議なたことがあった 。夜の7時半になったら、ー斉に、アブが消えるのだ。勿論、カやハエも、居なくなる、あれは、なんでだろう。いまだに、わからない。ワンワン鳴っていたのが、一瞬にして、フット消えたのだ。不気味な静けさだった。ただ、シーンとした、状態だ。まるで、月面のような、火星のような、宇宙の星に、いるようだったのだ。

夏の、臨海学校は、鳥取砂丘の近くの、民宿で、一週間だ。私は、大学時代に、水泳部にいたから、水泳の、上手い連中の、担当だった。普通なら、水泳の下手な連中のところに配属されるのだが、上手い連中ばかりのところだった。だから、初日から、沖へ泳いで見てか、どうか、調べて見た。皆は、文句なしの実力派だった。もう安心した、彼らを自由に、任せることができて、私は、岩場に、行って、もっぱら、アイナメという、さかなを探した。アイナメは、鳥取県の日本海側には、沢山いて、とても、旨いさかななので、私は、学生時代から、よく、とって、食べて、いたのだ。この、さかなは、岩場に居て、15センチくらいで、ヤスの先が、30センチくらいまで近づけても、じっとしているのです。ですから、子どもでも直ぐに、捕れるのです。私は、今も、夏は、石川の私が、いつも、行く、岩場に行って、まるで、畑でナスやきゅうりを、取るように、アイナメをとって、晩のオカズにしているのです。脂がのって、実に旨みのある、さかなです。私は1時間で、20から30ぴきを、とります。

だから、私は、子どもたちを、それぞれに、任せて、もっぱら、アイナメ探しだった。あれは、子どもたちにも、捕れる、さかなだから、子どもたちも、直ぐ、私のように捕れると、思った。皆、自分の、ヤスを、取りに、帰ってきて、皆は、取りだした。もう、初日から、豊漁だった。私は、宿に、帰ったら、台所に、行って、鍋を借りた。酒と醤油を半々、そこへ、捕ってきた、アイナメを、バサッと入れて、20分ほど、煮ると、出来上がり、それを、校長先生の待っている、テーブルに、置く。

「こりゃ、凄いなあ。今日のサービスかえ」「それにしても、旨そうだでえ」
「ほんなら、ごちそうになるか。」
「ウン、旨い。なんちゅう、旨いんだ。」
「こりゃ、なんちゅう、さかな 、だ。」
「アイナメちゅうて、海の鮎と、言われて、います。」
30匹あった、アイナメは、もう、20匹になっていた。
「こりゃあ。佐藤先生の班が、捕った、さかなです」
「ほんまかいなー、凄いなー」
次の日から、私の班は、もう、さかな捕り専門になった。子どもたちは、目的が、あって、喜んだ。私も、嬉しかった。なにしろ、校長先生の、お墨付きだからだった。

「先生ーーー、、たこが、 居るらしいんです。」
「どうした。」
「この人が、見たと、言ってます」
見るからに、ダイバーの、格好をしている、女の、人の言うには、この、下の、岩の穴に、いるというらしい
子どもたちも、直ぐに、潜った。しかし、
「先生、あかんわー」と、言って、あがって、来た。「大っきいねん」
私は、大きく、息を、吸い込んで、潜った。
これ、という、穴に、ヤスを突っ込んだ。すると、手応えがあって、ヤスに、足が、巻きついて来た。
「いたぞー。。大丈夫だ。行ける。」
「もう、一回で、行ける。」
私は、もう、一回、おもいっきり、息を、吸い込んで、潜った。
私はヤスの、代わりに自分の腕に、巻きつかせて見た。ところが、私の腕の、肩の辺り迄、巻きついて来たのだ。これなら、占めたものだ。
私は、イッキに、腕比べの如く、引っ張り出した。見事に、たこは、岩を離れて、私の身体中に、巻きついた。思ったよりも、大きいのには、驚いた。
凄い、と言うものでは、なかった。見事なる、大きさだった。全長が、150センチメートルくらいあった。

私は、見つけた、女の人のところへ、持っていってあげた。向うでも、拍手喝采のようであった。私は、とにかく、持っている、アイナメの調理をしなければ、ならないので、早く、帰って来た。私達が、食べていると、例の、女性が、たこの、半分を、持ってきた。私は、直ぐに、湯をとうして、刺し身に、した。勿論、食べ切れない量だ。次の日も、タコ差しのやま、だった。民宿の料理も、不味くはないことはないのだが、しかし、やはり、冷凍食品だ。子どもたちには、悪いと思いながら、私たちはだけ、生身をいただいては、申し訳ないと思いながら。しかし、子どもたちには、生身を食べさすことは、禁じられていたのだ。

子どもたちは、ズット。私を、見て、笑い続けていた。どうしてかと、言うと、私の、身体中に、たこ焼きのように、まるい、斑点が、出来上がっていたからだった。私は、強烈な、たこの攻撃を、受けて、いたからだった。水面上にあがって、私は、たこの、頭の皮を、ひっくり返した。それで、たこは、おとなしくなった のだ。まるで、人間の子どもくらいの、大きさだった。あれでは、子どもたちも、おんなの人も、逆に、引き摺り込まれる。
怖いと思った

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