「汝の敵を愛せよ」

キリストも、モーゼも、釈迦も、日本に来ているというのは、本当だと思います。それが宇宙のバランスを取る自然の意志というか、宇宙本能のような気がするのです。宇宙のバランスのために常にあちこち賢者たちは視察して回っているのです。それが、自然です。その中でも、日本の国の人間のバランスが最もいいのです。世界のあこがれでしょう。それだけ、豊かなのです。自然のバランスがが豊かなのです。この自然があれば、人間はよくなって行くのです。それを確認したくて、みなが来ているのです。戦争をしなくても、生きて行ける国は日本ただ、一つです。その上、犯されない、ふしぎな霊的な力のある国なのです。日本という国の素晴らしさでしょう。そして、日本という地理的な素晴らしさです。。縄文時代が一万年近くも続いてるということで、証明されています。「衣食足りて礼節を知る」です。食べ物に不自由がないからです。「金持ち喧嘩せず」です。ですから、礼儀が生まれのです。相手を先にというゆとりです。この姿勢が一万年も続けさせたのです。聖徳太子の、憲法で、「逆らうことなきを以て宗と為す」と言わせた所以です。キリストに日本で、「汝の敵を愛せよ」を学ばせた本源です。「左の頬を打たれたら、右の頬を出せ」。やはり、この当たりの礼儀が宇宙の意志でしょう。モーゼはもっと前1,000年前に来ていると言います。そして、日本の古神道を学んだといいます。とにかく、こうした宇宙のバランス本能の意志が、日本にあったのです。それが、世界の人類を導いたのです。

とにかく、賢者たちがしっかりしていないといけません。それでも、ヨーロッパでは争いが絶えませんでした。それだけ、貧しいといっても差し支えありません。争いをして勝てば相手を奴隷にする、つまり、それで、また復讐する。「目には目を、歯には歯を」です。その繰り返しが、ヨーロッパです。悲しいことです。日本の縄文時代は、戦争の文化を必要としなかったのです。人を殺すという必要がなかったということです。相手を奴隷にしなくても良かったのです。そうしたことができたのは日本だけです。これほど迄に永き時間にわたって戦争らしきことが行われなかったということが不思議といっていいのです。ですから、武器の必要迄に行かなかったといっことです。台湾の南の小さい島での争いの話しですが、それが、石の投げ合いの戦いだったそうです。男達だけが石を投げて戦うのだそうです。嘘見たいな話しですが、それが、実際あったそうです。いや、実に素晴らしい話しです。憎しみがあとあと迄残らない。大事なことです。確か、ヤミ族と聞きました。文化人類学者の金関先生のお話しだったかと思います。面白い話しなので、よく覚えているのです。とにかく、我慢さえすれば、みなが食えるのです。大事なのは、恨みを残さないことです。余程優秀な指導者がいたのでしょう。法然さんの御父さんは、相手側に殺されて、亡くなられた後法然さんに、決して仇を取るようなことはするなと戒められたと言います。仇を取るとまた相手側からも仇を取られます。そんな繰り返しをするなと言われたそうです。日本人の心の伝統だったのかも知れません。聖徳太子の「逆らうことなきを以て宗と為す」でしょう。仇を討ちたいなら、石を投げて終わりにする、で、あとあと迄恨みを残さないこと。そんなことで後は我慢をする。それくらい、心の広さを持ちたいものです。そう簡単には行かないというでしょうが、そうすることに日本人の優秀さがあるのです。第二次大戦のあれだけひどい目にあっても、戦争の恨みを残さないで、発展させたのは、驚きです。どこかに縄文人の精神が残っているのでしょう。恨みが残っていたら、もうとっくに亡びています。いつまでも、戦争を繰り返してたら亡くなります。恨みを発展のエネルギーにしたのです。悲しみを前進のエネルギーにしたのです。凄いことです。日本の縄文エネルギーです。

「恒やんの大糞ひり」今突然、思い出した言葉です。悲しい言葉です。辛い言葉です。小学校3年生の時のことです。恒やんとは、恒治のことです。私の父、佐藤恒治の名前です。私の家族が満州から引き揚げて来て、学校でからかわれていた頃の言葉です。引き揚げ者は学校で私の家族だけだったのです。何が辛いことかと言われても、これほど、辛く、悔しい言葉はありませんでした。引き揚げ者は決まった仕事がありません。そこいらの手伝い、家の普請の手伝い、あちこちの土方にんぷ、それくらいです。父は大きな身体をしていました。土方仕事ができる身体でした。満鉄では卓球の正選手だったそうです。3万人の社員、その中の卓球選手、その中でも正選手と言えば人から笑われるような立場ではありません。それが、日本へ帰って来たら、引き揚げ者ということで、蔑まされたのです。惨めな思いをさせられたのです。テニスもやってたようです。体力のある父はあちこちに呼ばれました。その時、食事を呼ばれることもあったのでしょう。多分、その時の糞の量に驚いたのでしょう。それを、見ている者もあったのです。それほど引き揚げ者は、差別され、監視されていたのです。抵抗する手立ては何もありません。ただ、我慢するしかないのです。私は私で、栄養失調の身体は痩せて青ざめて、押せば、ひょろひょろと今にも倒れそうな身体でした。みなが私を囲んで笑っているのです。「青」と言うあだ名がついたのです。その時の悔しい思いが、のちのちの力のバネになったのかも知れません。どこかに、負けてはならない、いつかは勝って見せる。という誓いが心のどこかに生まれたのです。父も母も、経済的には貧しかったかも知れませんが、他に、馬鹿にされるものは何もありません。ですから、私も、いつかは挽回してやるぞ、という思いが育ったのだろうと思います。こうした辛い思いは、消えるものではありません。何をされても、何をさせられても、いつかは、いつかは、と耐えることができたのです。簡単にはギブアップしなかったのです。こうした辛い思いは私を強くさせたと思います。例え、負けたと見られても、心の底には、まだ、炎の火種が消えてないのです。よく苛められました。それでも、いつかはきっとと思ったのです。それは、急には挽回できません。じょじょにじょじょに、そして、やがて、追いついて、そして追い抜くのです。時間がかかったのです。しかし、諦めなかったのです。しぶとく頑張ったのです。気がついたら、大学を出ていたのです。


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