かつひこ日記NOW

2016/07/23

紀野一義『般若心経講義』PHPより

「銀花」には、勝彦がパンツ一枚の素裸で大きな鉄鍋で飯を食っている写真がある。とても「死がせまっていると感じるから」なんて人間ではない。「死の方で呆れて敬遠しているから」と書き直した方がいいぐらいである。勝彦は言う。「たくさん食えよ。食わなきゃ、たくさん仕事できん。僕は米もうまいし、そばもうまい。みんなうまいと思うことが大事なんだ。僕ら十四歳になったらかせげと言われた。若いうちの苦労は買うてでもせい、と言われた。わし、かせいだ金は全部好きなものと換えてしまったから、食べるのに一銭もなくなって、またかせぐから、飯一杯のありがたさが分かる。飯をいっぱい食うということは大変なことや、今の人間、職がなかったら、飯一杯食うのにどうする?」

こんな男はなかなか死なぬと思うが、勝彦がいつも「死」を思うて生きている心の据えざまがよく分かる。

「結局のところ、自分というものを、死までさかのぼって追求するしかないだろう。死というものと直結しないかぎり、大いなる真実というものへの感激は生まれない」「死というはっきりした約束があるから、真実というものが重大になるのである」
しかし勝彦が死を恐れないのは、人生のすべては神さんのなさること、という腹の据えようがあるからだと思う。

「神さんは、いつでも語っておられるで、その御話きいとりゃあ安心してしまう。あっちでもこっちでも至る所で、神さん現れて喋って下さっておられるで、みな、輝いとる。こんな世界、はっきりそこへあらわれとるのに、なんで、これが見えんのやろかと思う。これが見えるか見えんかで世の中や人生はコロっと変わってしまう。生きてて良かったと思うどころじゃない。もの凄い感激で、なんや、じっとしておられん様な感激になってしまう。そしたら、死ぬるなんて事は当たりまえの普通の事になってちゃんちゃらおかしくって、朝飯前程の気安さになってしまう。死が平気なら生きとることも平気のへっちゃら、楽々ちんで、勿体ないやら、有難いやらで、いつでもホイホイのホイホイホイ。自動車事故がなんじゃ、癌がなんじゃ、地震がなんじゃ、やって来いやって来い。みんな神さん始末してくれるでやって来いやって来い。きんきんきらきらかんかんぼしー。そんな気になってしまう」

私もかなり野放図でのんきな男であるが、勝彦ほどではないので、「きんきんきらきらかんかんぼしー」と手放しでやるわけには行かないが、それでも、人間、生きてるうちは生きており、死ぬ時はどんなことをしたって死ぬんだぐらいは腹に据えている。大学の二年の時に兵隊にとられて工兵の連隊に入れられ、やがて工兵の将校になり、戦地へ送られた。終戦になっても中国軍が帰してくれず、足かけ四年も軍隊生活を送らされたわけである。これも神さんの思し召しだろう。その間、何度も死にかけた。アメリカの戦闘機に何回も何回も銃撃され、小便をもらしそうになったのが第一回目。その時は大きな木のまわりをぐるぐる廻って逃げ、必死にお題目を唱えた。十三ミリの機関銃彈に抉られた日には一巻の終わりである。ところが、必死に南無妙法蓮華経!とやってるうちに、だんだん、弾があたらないことに気ずいて、「へえ、当たらねえや」と思うようになった。あれは当たらん奴にはまるで当たらんようになっているのである。その時から「おれは死なないんだな」と思うようになった。
アメリカの爆撃機のふりまいてゆくおびただしい爆弾の中の、これまたおびただしい数の不発彈の信管を抜き取る作業で死にかけること三度、千数百発も処理してついに死ななかったので、「やっぱりおれは死なないや」と、信念のように思うようになった。今では、「助けられていたのだなあ」と、しみじみ仏さまに感謝している。生かして頂いたのは、することがあったからだなと気づき、仏法をまるで知らない人たちに仏さまのことを知ってもらう仕事に一生をかけている。「生かして頂いているのだな」と思うからである。自分一人の力で生きているような顔をしている連中に、生かされている喜び、大ぜいの人たちといっしょに生かされている喜びを知ってもらうことに一所懸命の今日である。私にとっては、一日一日が楽しくて仕方がないし、一日一日、今が大切なのである。今を幸せだと思わなくて、なんで人間幸せになれるかと思う。
そう思っていたら、勝彦が、「今楽しいから明日も楽しい」と言っているのを見て、わが意を得たりと思った。
「今日努力しておけば、明日この努力が報われるなんて、そんなに明日のことを期待するんやったら、いつそ今喜びなはれ、今苦労しとけばいつかは楽になるという考えも同じ。今は今で終る。今が続いて、だんだん楽になるなんてことがあるだろうか。今楽しいから明日も楽しいのであって、今苦しくってなんで明日楽しいことになるんや---」

今は今の花が散る
だから  見事に散らせたい
今という花を咲かせ  散らす
それしかないと思う
今は今  明日は明日
今  苦労しとけば  明日楽になる
ということ
この期待はやめとこう
今やっとけば  きっとよくなるぞ
これは迷いだ
これは真のよろこびとはちがう

人のことと比べるから
迷うのだと思う
人ことばかり見ている
よそみばかりしている
だから欲しくなるし
あせるし  いらだつ
人と自分と比べるから
人の動きを見ている時は自分が止まっている
自分が固着している
自分をもっと見つめるがいい
そしたら  まわりも自分も
流れ出す
動き出す
人は人  自分は自分
与えられたことをすればいい
そう思うこと
それが救いだ

「なにはともあれ、今に感謝する以外にない。感謝を感じる時、全て、そこらあたりは輝きに満ちている。全てが詩的で、全てが幸福そうで 、空気は澄んで色どりが美しい。静かで、おだやかで、平和である。「おい、君」と問いかけたくなる。みんなが友達のように思える。みんなが兄弟のように思える。そして、又このひとつひとつは神であり、仏であるのだ。そして、この時が本当の幸福な時であり、この姿を真実というのだ。
だがしかし、感謝が消えると同時に、このひとつひとつは神の姿をかくし、仏の姿をかくすのだ。そして真実も、時を同じくして消えている」

紀野一義『般若心経講義』PHPより

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