かつひこ日記NOW

2016/07/23

「森信三先生」

教師になった私の学校にいつも「日本人」と言う雑誌がありました。雑誌の後ろに私の学校の広告が全面に載っていたからです。ですから、職員室に何時でも読めるように置かれていたのです。たまたま手にとって開いてみると、とてもいいことが書かれていたのです。編集者が兵頭正堂と言う方でした。私は、27才頃に一人雑誌を発行していましたから、そこに一部送ったのです。
すると、返事が来ました。森信三と言う方に一部送って欲しいということでした。私は早速送ったのです。直ぐ返事が来ました。神戸の海星女学院の哲学の教授の方でした。何だかとても喜んで下さったようなのです。それに長文の御手紙が入っていて、是非とも会いたいということでした。私はその頃奈良市にある県立文化会館というところで2回目の個展をすることになっていましたので、個展のご案内をしたのです。すると、やって来られました。年齢は私より44歳くらい違う方だったのです。私からすれば祖父くらいの方でした。初めてお会いしたのですけど、もうだいぶ前からおつきあいしていた感じがしたものです。階段をポンポンと軽快に跳ぶように降りて来られたのです。緑色のひもネクタイをされていて、白の半袖シャツに背に蒲の背負い駕篭で、なかなか活きなこだわりのあるお姿でした。ニコニコして私は何をお話ししたのか忘れましたが、いろいろお話しさせていただきました。それからは毎日のように御便りをいただいたのです。そして、先生が主宰されている実践人を送ってくださるようになったのです。暫くして神戸で実践人の会が開かれた時に呼ばれたのです。その時御一緒させていただいたのが福岡正信という無耕作、無農薬、の先生でした。この先生も不思議な先生でした。ただ種を蒔くだけで普通の収穫を上げていた愛媛の方だったのです。無の哲学とい本をいただきました。とても強い印象を受けました。先生のところには、不思議な方達が集まるのです。それから、長野県の恵那の近くでも実践人の会がありました。そこにも参加させていただきました。そこで、大石さんという方とお知りあいになりました。その方は毎日、太陽からの霊示を受けてそれを筆記されるという方でした。それ纏めた「迎仰不滅の論理」という分厚いご本をいただきました。とても難しい御本でしたが、この方も不思議な方でした。それに、その恵那の近くの農場で信州大学が廃鷄を蘇生されている鷄舎を見学させていただきました。復活した鶏とストレスのたまった鶏を比較してその変化を見せていただいただいたのですが、素晴らしい体験でした。健康になった鶏は人懐かしく足元にすり寄って来るのです。廃鷄となった鶏は人が鷄舎に入るとどっと隅っこにヒステリックに逃げるのですが、そのショックで何羽かが圧死したのです。その廃鷄を活かすのです。自然の野生を取り戻すとこうなるという実験をしていたのです。面白い体験でした。先生がつくっておられる実践人の色んな会にも連れて行っていただき、色んな方を紹介してくださって、私の雑誌も多くの方のところに行くことになったのです。20代のおわり頃、私の雑誌を纏めることになりました。それで、先生に序文を書いていただくことになったのです。「ええがな、ええがな」という私の初めての本でした。先生からは、その後もずっと御便りをいただきました。そして実践人という雑誌は今も届いているのです。もう50年になりました。先生の実践人とのおつきあいは、先生が亡くなられてからもずっと、続いているのです。しかし、私には、当事先生の文章はまだ難解で読みこなせなかったのです。それが、年負う毎に50年かけてじょじょに解らせていただくことになったのです。今先生とお会いした年頃に私がなったのです。やっと先生の世界が楽しめるようになりました。ですから、やく50年もの時間がかかったのです。考えてみれば長いおつきあいになったのです。先生が大阪の画廊でしたが、御弟子さんを連れて来られて、お二人で二点の油絵を買っていただいたことがあります。普通の人には解らないような暗い感じの鬼の絵でした。あんな絵は先生でないと解っていただけない絵だと思いました。

先生とおつきあいしている時でした。先生は意外な事を私に言われました。「佐藤君、君、20代で家を建てなさい」まるで、八卦見のような事を言われたのです。私は20代でしたから「はい』といって、それを実践したのです。たまたま色んなことが重なってうまい具合に家が建ったのです。それは私にはとても厳しいことだったのですが、とにかく私の家が建ったのです。いい体験になりました。何でも若いうちに苦労させていただくことが大事だと思わせていただきました。その体験で私は何にでも楽な気持ちで挑戦出来るようになりました。色んなことに自信がついたのです。それからのちに言われた言葉が「往相より還相の方が難しいのです」という言葉です、しかし、私にはまだその頃、その意味がわかりませんでした。今もずっとその言葉と対峙している感じです。まだ年齢が来ていないのかも知れません。まだまだこれからも続くのでしょう。しかし、私は先生のように長くは生きれないと思います。ですから、還相の方はどうなることかと思っています。先生も私の年齢(76才)の頃一人で自炊をされていました。80歳頃から、がぜん執筆を増やされたのです。それを思うと私は頼りないことです。還相を実践する、そんな自信はありません。しかし、まだ諦めた訳ではありません。先生はご自身のことを実に詳しく記録されて居られました。それは私にはとてもいい刺激になりました。先生はよく「自分史を書きなさい」とおっしゃって居られました。それで、惚けないうちに何かそれに近いことを書こうと言う気持ちになったのです。いつ転けてけがをするかも知れないのです。転けたら打ち所が悪かったら入院させられます。そうなると惚けるのは早いそうです。私の父も75歳過ぎて単車で事故を起こしました。そして病院に入れられたのです。それから惚けは早かったのです。人間は何時でも危険いっぱいです。何でもやれる時にやっておかなければなりません。今になって先生の後ろ姿の万分の一でも追いかけたいと思うようになったのです。ですが、なかなか至難です。生きのびるだけでも、大変です。まして、意味ある仕事となると疑問です。でも挑戦あるのみと思っているのです。生きてるうちに何でもやろう。「二度とない人生」なんですから。それしかありません。

先生は「丁度いい時に丁度いいことがある」といつもおっしゃって居られました。それは不思議なくらいぴったりに起きたのです。先生に序文を書いていただいた本は出版まで時間がかかったのです。なにぶんその頃お金がなかったのです。家が建ったのでお金がありません。やはり、父兄に出版の人が居られて、その人に相談したのです。一番安い費用で出版したいと言ってお願いしたのです。それでも、出版までは時間がかかったのです。最低の紙を使って最低の価格です。ですから、できた時から古本のような本になりました。その本が大阪の古本屋に出たのです。それを見つけたと、私を訪ねて来た雑誌社がありました。そこでの話しが10ヶ月で75,000点の絵を描くということだったのです。こんな途方もない仕事を引き受けたのです。「はい』と受けたのです。
私は「はい」ということをつねに大事にしていました。「はい」はまさしく神様のおぼしめしとしていただいたのです。ですから私には「はい」は神様の命令に答える「はい」だったのです。丁度いい時に丁度いいことがあると信じていたからです。考えてみれば私の人生は、すべてが丁度いい時に丁度いいことが重なったということです。それは人についても同じように思いました。丁度いい人に丁度いい時にお会いしたのです。そして、家がたったのも、丁度いい時に立ちました。本が出来るのも丁度いい時に出来たのです。そして仕事も丁度いい時に来たのです。また仕事の内容も丁度いいものでした。「はい」と素直に受けとるということがなかったらこれほどのめぐみがなかったかも知れません。それほど、「はい」と受けることが私には良かったのです。それは私を育て、発展させていく原動力でした。私への出会いはすべて「はい』と受けることが、丁度いいことになっていったのです。その連続でした。私は宇宙の構造も「はい』ということが自分を育てる一番大事なことのように思っているのです。宇宙の創造主はつねに丁度いいものを正確に計算して私に与えて居られるように思ったのです。それが宇宙の愛なのです。私は父母から、「はい』の姿勢を、育てられたことが最大の財産だと思いました。ですから人生は素直に「はい』が大事なのだと思うのです。つねに「はい』であれば丁度いいことが来るのです。それは天の命令だからです。仏の慈悲だからです。先生はこの「はい』という返事を「大事にせよ」とそして、それを「実行せよ」といつもおっしゃって居られました。先生は返事の「はい』と「履きものをそろえる」「ごみを拾う」ということもおっしゃって居られました。簡単におっしゃって居られましたが、このそれぞれは意味が深いのです。「はい』の一言でも私にはとても尊いことだったのです。「はい」と受けることをさせていただいたから、今の私が生まれたのです。「はい」と受けた以上実践するのです。責任を持つのです。私が10ヶ月で75,000点の作品を描いたのも「はい」と返事をした責任です。また、人の出会いを「一瞬早過ぎず、一瞬遅すぎず』とおっしゃって居られました。出会いも実に神様の思し召しです。これも私には尊いことでした。不思議な人との出会いをいただきました。そこから、色んな方向に発展して行ったのです。何でも「はい」と受けるのですから、馬鹿正直だと思われるかもしれませんが、馬鹿正直がよかったのです。信じて受けたらいいのです。疑わないのが大切なのです。神様の思し召しと受けとることです。ですから神様との約束です。神様は丁度いいものを与えてくださいます。私は先生から申された還相も神様の思し召しに従おうと思っているのです。自分で考える必要はないと思います。自然法爾です。神様の思し召しにおまかせさせていただこうと思います。きっと丁度いいものがいただけると思います。それと先生は「履きものをそろえる」「ごみを拾う」とおっしゃって居られました。宇宙はきれい好きです。私が余命2週間と言われた時に思ったことは片付けが途中で残っていたということでした。それがとても心残りだったのです。美しくしておくことは難しいことです。

「新しい癌」
余命2週間の宣告から4年経ちました。最近病院に行きましたら癌がまた、転移していると言われたのです。何せ膵臓癌です。これで余命が伸びたことは珍しいと言われたのです。
3日前でした。抗がん剤の治療をするので病院に行きました。しかし、血液検査の後、私は治療を断ったのです。月初め入院して抗がん剤を打ったのですがその後遺症がひどく、全身に湿疹がで出たのです。それに歯ぐきが痛み出したのです。さらに、体力が衰え、1週間後、白血球が異常に減ったために中止になったのです。こうまでして抗がん剤というもので細胞の成長を抑えることに私は反対したのです。私は癌と共に生きて行きますから、何とか止めて欲しいと頼みました。止めて2週間、おかげでもとに戻って、こうして文章が書けているのです。多少痛みますが我慢できます。2ヶ月間は痛みが強くて眠ることができませんでしたが、今少し治まっています。2ヶ所転移して一ツがリンパ腫らしいのです。それであちこち痛みますと言われたのです。なるようになります。それまではやれることをやります。今日も絵を描きました。作曲も演奏もスタジオに行って録音しました。14000Vの電気治療もしました。作曲演奏のCDは216枚目になりました。生きてる間にまだ作曲させていただきます。まだ増えることになると思います。診療所のケアーにも行きました。ケアーで大きな作品を仕上げました。動くからお腹は空くのです。先日いただいた魚の刺身を食べました。味噌汁もいただきました。おいしいと思うだけいただくのです。先はどうなることやら考えていません。なるようになります。すべては宇宙の思し召しです。それに従います。つねに進行形です。前へ前へです。つねにそのままです。つねに宇宙を遊んでいます。つねに「色即是空」です。つねに「南無阿弥陀仏」です。つねに神様と共にあります。ありがたいことです。

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本編のCD(佐藤勝彦の音楽1)は約55分の作品です。
この動画には冒頭の約4分を収録しております。CDは「アート馬の目」にて販売しております。
ご希望の方は
アート馬の目 0742-22-6795 にお問い合わせください。E-mail:di2vj7@bma.biglobe.ne.jp
「佐藤勝彦の音楽1」  No.149「精の想い」 ¥1000(税込、送料別)

本編のCD(佐藤勝彦の音楽2)は約28分の作品です。
この動画には冒頭の約4分を収録しております。
「佐藤勝彦の音楽2」  NO.150「天奏」    ¥1000(税込 送料別)

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