かつひこ日記NOW

2016/07/22

「何もない」「お任せ」「自由」

一日の始まりが、何もない、何もないなあ、から始まる日があります。まったく私というものがない。他も何もないのです。そういう状態で、「ある」という感じなのです。これが全てだと思えるのです。そして全てが肯定出来る感じがするのです。神様に任しているような、神様がいいようにしてくださるような感じなのです。こんな思いをいただいているのです。この繰り返しは私の生活にはとても大切なことのように思われるのです。そしてそんな思いをしながら絵を描くのです。「何もない」が基本です。「何もない」「お任せ」「自由」です。つまり「色即是空」です。「南無阿弥陀仏」です。空っぽの意識は爽やかです。軽いのです。楽なのです。
そして「はい」です。「はい」は神様に対して、いただきますと返事をしているつもりです。私はこれだけは注意して実行してきたつもりです。神様に対していつも「いただいてる」です。これは現実の全てを肯定することです。

父が私に命令したら「はい」と返事をしてたのと同じです。私は父母に対して、そうして来ました。それから、兄に対しても、そうして来ました。勿論、学校の先生にも、いや、ご縁のある人にもそうして来たつもりです。父母の命令は何も抵抗はありませんでしたから、何も問題はありません。何の疑いもありません。しかし、兄の命令は、大変でした。兄は学校で何か嫌なことがあるとそのストレスのはけ口に私を苛めたのです。勿論兄はそんなことは思ってないと思いますが私にはそう思えたのです。実に辛いことでした。兄は高校で柔道部にいましたから、私を相手に鍛えてやると言っては練習をするのですが、私は、年齢差が3歳ありましたので、どうやっても勝てないのです。私を柔道の練習で放り投げるのです。今でも肋骨は折れたままです。実に辛いことでしたが、私はいつも真剣に挑戦していきました。相撲も一日に30回くらいは挑戦させられるのです。しかし一度も勝てないのです。柔道は襖も障子も大きな穴が空くのです。もうぼろぼろでした。大きな身体で放り投げられたら、どうしても穴が空くのです。私はいつも真剣に対応しました。しかし、悔しかったのです。最後は、いつも、大声で泣いていました。悔しいから、回りに聞こえるくらいに大声で泣いたものです。前の山に向かって泣いていました。唯一それしか対抗するものがなかったのです。母がいつも、「お前は負けるのがわかっているのに、何で兄ちゃんにかかって行くんじゃ。」と、しかし、兄がいつも仕掛けて来るのです。仕掛けられて逃げるのが嫌だったのです。男兄弟はそんなものかもしれません。兄が謝った事が一度だけありました。空気銃で私を撃ったのです。これは、本気でなく、きっと、試したのだと思うのですが、腹の下に当たりました。だいぶ離れていたから良かったと思うのです。その時だけ、「誰にも言うな」と言って謝ってくれたと思いました。その時の一回切りだけでした。玉が、ズボンのところで止まっていて、中に入っていなかったのです。それで、大事に至らなかったのです。兄に勝ったことは、中学生になって水泳と将棋の時くらいでしたが、肉体的な相撲や柔道は負けるばかりで、勝ったことは一度もありません。しかし、いつも絶対服従でしたから、兄の言うままでした。

「一つの悟り」

私は20歳の頃、結核病院で1つの悟り体験をしました。これは、こうして、それまで全てを受けたからだと思っています。耐え難い人生が沢山あったからだと思うのです。悔しくて山に向かって大声で泣いていたからだと思うのです。それまでの人生が辛い苦しいものだったからだと思うのです。勿論、楽しく嬉しいことも沢山あったのです。神様は私に無駄なことはお与えなされません。全てが私の成長のためになされたと思います。私を悟らすために苦労を与えてくださったのだと思います。私はお陰でお寺や滝で修行しなくても良かったのです。十分に毎日の生活の中に修行があったのです。勿論、断食は満州時代です。苛められたことも修行です。貧乏も修行です。兄との稽古も修行です。全てが私のために用意されたものばかりでした。こんな修行をわざわざお坊さんのようにしなくて良かったのです。おかげで悟ることができたのです。勿論、こんな悟りは悟りのうちには入らないのでしょうが私には、悟りに思えたのです。嬉しくてありがたくて、涙が出て仕方ありませんでした。その悟りの感動は今も忘れられません。あれから私は全てが私のために用意されてると思えるようになったのです。それ以来全てがありがたくなったのです。絵も描けるようになったのです。その悟りのおかげで何も怖れがなくなりました。

「生かされているだけ」

本来、何もないと思っていますから。「はい」という返事は今も変わりありません。全部肯定です。これが私を育ててくださった神様からの贈り物だったのです。一見損のようなことがありましたが私は十分に得をしていると思っているのです。損のようになっても、何処かでまた良いことが起きているからです。損得は神様が判断して下さるのです。なにしろ私が今ここに生かされているだけでも、随分得なことなのです。「生きてるだけで丸儲け」ですから、それが何よりの証拠になります。凄い豊かなことなのです。私は、色んなことがありましたが、産まれて来たことが、神様に選らばれたからだと思っているのです。ですから私は今でも「はい」で良かったと思っているのです。神様の命令に従うのです。完全に信じているのです。ですから「色即是空」を信じます。あるがままです。なるがままです。なるようになっていくままです。生死も生死に任しています。色即是空に任すのです。神様に任すのです。私は今、十分にありがたい生活をさせていただいています。入ったお金は子どもが経理をして私は何も貰っていません。私はお金が要りませんから、それでいいのです。それより毎日休まず絵を描くことの方が嬉しいのです。 生かされているだけで完璧だと思っていますから最高です。何処へも行きたいとも思いません。食べ物も少しで十分です。少ない方がいいのです。毎日リハビリに行っていますが、最近は運動もしていません。その分絵を描いているのです。時間がもったいないからです。とにかく筆を休めたことはないのです。毎日、明日は何を仕上げようかと前日から用意しています。私は今、この生活が一番合っているように思います。リハビリではお喋りはしませんが、歌が回って来るのです。好きな歌を一生懸命に歌うのです。これが私の運動の変わりになっているのです。癌は転移したままです。よくなっているのか悪くなっているのかわかりません。どうなっているかわかりません。なるようにしかならないのです。けれど、神様に対しての義務だけは果たしたいのです。リンパ腫のために左半分が痛みますが、仕事が出来るのです。気分よく生活していますから、リンパ腫が治るような気がするのです。勝手に思っているのですが楽しみです。膵臓癌が転移してリンパ腫になってもこんな楽天性です。先生は、「よくぞ4年も生き延びたなあ」と言われます。私もそう思います。「せっかく生き延びたのだから、もうちょっと、生きんともったいないなあ」と言って下さいます。ありがたいことです。


「私の美術館」


私に、もしかして心残りのものがあるとしたら、私の古い美術品の始末くらいです。私は、それを美しく保存するために家も設けました。まるで、彫刻のように工作のように作り替えては永年遊んで来たのです。その家がみんな私の芸術館だと思っているのです。ただ積んで置いてるのではないのです。1つ1つ選らんで飾り付けているのです。棚を作り古い箪笥を置きその上に丁寧に飾り付けて、私なりにバランスを考え部屋をレイアウトしているのです。20歳の頃民芸の柳宗悦に感動してそれから56年集め続けたのです。しかし、私は人様にお見せする時間がありませんでした。ですから私だけの美術館に終わりました。この私だけの美術館がこのまま朽ちるような気がするのです。それだけが残念だと思うのです。これら古いものは私の美意識の師匠です。私は誰にも絵は教わりませんでしたが、古いものに学びました。その影響は大きいと思っています。欅の家があるのも私の美意識です。そうした力のあるものに憧れたのです。いつも私だけの独り美術館に座っていました。そうしたものに囲まれているだけで元気になったのです。私の子ども達は誰も興味がありません。ですから、ばらばらになっていずれ売りさばかれてしまうのでしょう。これも仕方ないとは思います。全ては神様の御導きによることでしょう。しかし、こうした家作りと蒐集は私にとっての一番の芸術作品だと思っているのです。ですから家全部が作品なのです。私らしい作品なのです。

私は人生の全てを芸術だと思っています。料理も掃除も音楽も運転も寝ることも起きているときも考えていることもです。それが全て私の芸術です。ですから家も配置から照明から空間から色彩から私です。絵かきだけではないのです。人生全てです。売るのも買うのも全てです。家を買うことでも、安く買わなくてはなりません。全てお金は活かさねばなりません。工夫して安く買って、直すにも安く直さないと駄目です。屋根ひとつとってもこの屋根なら何年間持つかということまで考えなくてはなりません。お金を活かして安く仕上げねばなりません。工夫がいるのです。考えて考えて自分の美術館を作ったのです。ですから、出来上がったものに、執着が起きるのでしょう。これは私の欲が招いたことです。おかげで一生懸命働きました。美術館を作るという欲望がなかったら、こんなことはないと思っています。これも人生です。私の芸術の一端です。根っから物を作るのが好きなのでしょう。仕方ないと思っているのです。執着することがわかってやったことです。諸行無常を知ってやったのです。ですから、仕方ないのです。一度きりの人生ですから一生懸命でした。今日も朝から沢山絵を描いていました。左手を擦りながらです。何が出来ても砂の上の作品です。覚悟の上です。いつか大波がきて津波のように流してくれることでしょう。私は大学に行くまで絵かきになるなんて思ってもいませんでした。それがいつのまにか絵かきになっていたのです。小さな悟りですが私を大きく変えた切っ掛けになったことは事実です。やはり私には学校の勉強より体験で悟りをいただいたと思っています。悟りは無限がいただけるのです。無限を体験することは神の子になった証明です。仏の子どもです。努力したからと言っても与えられません。ある時、「フット」忘れた頃にいただけるのです。悟りは一瞬にして宇宙へ連れて行ってくださいます。そして無限の力を与えてくださるのです。

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