かつひこ日記NOW

2016/06/30

「母の里」

岡山の母の家は伯備線に乗って、高梁で下車して、さらに、バスに乗って山のてっぺんまで登るのです。一番高いところで下車して、そこから歩くのです。持って帰るものがなかったからできたのです。ところが、母は祖母に会った瞬間に倒れたのです。一週間くらいで立ち上がれると父は思っていたのですが、そうはいかず、一ヶ月月経っても、2ヶ月月経っても母は立つことができなかったのです。その間、父は世話になるからと、土方仕事をして待ったのです。しかし、それでも母は立ち上がれなかったのです。そのうち一年もの時間が過ぎたのです。母の兄が説得してくれて、北海道の炭坑をあきらめて、母の里にお世話になることに決まったのです。運命は、どうなるかわからないものです。母の兄の世話で私は、その村の小学校に編入することになったのです。学校に一度も行ってないので、一年遅らせようと言ってましたが、母は大丈夫だと言って、私をそのまま3年生に編入させたのです。私は3月の、早生まれで、3年といっても他の子よりもちょっとだけ幼い感じだったのです。その頃、留年している子は案外いたのです。ですから、私は幼ないうえに学校体験がなく、それに栄養失調で蒼白い顔をして、何も知らない上に、力が弱いものですから、いつも、いじめられていました。それに、運動ができません。力が弱くてなにもできなかったのです。満州では、友達と遊ぶということはなかったのです。勿論、記憶がないもっと、幼い頃は友達と遊んでいたのでしょうが、記憶がある終戦の頃からの記憶といえば、タバコ売りと父の手伝いくらいだったのです。勉強なんか、そんな状況ではなかったのです。学校へ入った、初めの頃、私は、学校のトイレというところへ行ったことがなかったのです。トイレを見たこともなかったのです。授業中にウンコがしたくなったのです。ところが、どうしたらいいのかわかりません。先生に訴えることも出来なかったのです。必死になって我慢したのですが、とうとう、我慢する限界が切れて、私は自分の椅子にグニやグニやと出してしまったのです。私としては、最悪です。情けないやら、悲しいやら、それでなくても、引き揚げ者といわれていじめられていたものですから、もう、皆に頭が上がらないことばかりになったのです。身長は前から4番目でした。早生まれでしたので、まだ、育ってないのです。しかし、小学校の時代は、言って見れば、勉強なんかしないでいいのです。いつの間にか、私の成績は皆と同じになっていったのです。母の里親のところに永住を決意した父母は、母の里親から遺産相続として、食べれるだけの土地をもらったのです。小さいけど家も建ててもらったのです。しかし、後は自分達で生きよ、ということになったのです。父は早速、田を耕し、畑を作り、井戸を掘り、家畜を飼い、山から薪を集め、自給自足の態勢を作りました。父の腕は大したものでした。他に山羊、にわとり、ウサギ、後は、私が、釣る魚です。
私は毎日休むことなく、川に出かけて行きました。川と言っても、小川の類いです。しかし、私には、ちょうどいい川の大きさだったのです。魚は私が受持ったのです。学校から帰ったら、にわとりにエサをやって、その後は、ドジョウ取りだったのです。山のてっぺんというか、台地にある小さな川ですが、魚は沢山いたのです。特にドジョウは、いつも父が喜ぶほど取れたのです。小学校の、左の方に、川がありました。私は授業中に、いつも川の方ばかり見ていましたから、よく、先生に注意されました。それほど、川のことが気になったのです。私は、完全に知り尽くすほどに、川の研究をしていました。どこに、何がいるかわかっていました。色んな方法で魚を取ったのです。しかし、毎日、暗くて、糸が見えなくなるまでドジョウを釣ってたあの頃の楽しさは、私を育てた、一番の功績のような気がするのです。私の小学校、中学校時代は、まさに、魚との付き合いに尽きると言ってもいいと思っています。子供の時に夢中になるものがあったということが、私は最高の遊びに恵まれたと思っているのです。しかし、それが、私に今まで生き延びさせた原動力だったと思っているのです。工夫することも考えることも作ることも、生きて行くことの一番大事なものも、その頃にいただいたと思っているのです。私はずっと、絵を描くことでさえ、魚を獲る感覚で面白く楽しく存分に遊んで来ました。ほんとに、申し訳ないと思っています。


「自分を、下に置くこと」

最近になって、さんざん、自由に命を、使わさせていただいたので、これ以上に、何かしないといけないと思えるような、気持ちになったのです。勿論、自分の仕事を真剣にやるだけでもいいとは思っていますが、何か、もっと、と思ったのです。終戦のことを、思い出すのです。苦しみの中で死んでいった人達のことを、です。
残りの人生を、何か、人の役に立てねばと考えるようになったのです。役に立つには、何か出来ることはないかと思っていました。すると、神様から「人の下に為れ」という思し召しの言葉が届いたのです。フットそう思えたのでしょうが、不思議なことです。
とにかく、それが、「人の役に立つ」といわれるのです。
ひとりでもいい、人を安心させることだといわれるのです。家族でもいい、目の前の人でもいい、と言われるのです。
「人が、争いを、しなくなるために」といわれたのです。何のことか、直ぐには分からなかったのですが、自分流に解釈すると、自己犠牲ということか、と思ったのです。とにかく、自分を、放棄せよということかと思いました。自分の思いどうりにするなということらしい、と思いました。人に逆らうなと、いうことらしいとも、思いました。しかし、それは、なかなか難しいことです。ですが、面白いとも思いました。やさしいことではないから、余計、面白いという発想が沸いたのではないかと思いました。おもしろいと言う表現はおかしいですが、しかし、遣り甲斐のあることだと思ったのです。
一度に、捨てるということは、なかなかできないことですが、しかし、癌で余命、2週間、まで行ったのですから、もう、物質の欲は消えるところまで行ったのです。体力がないから、欲望が少なくなった、今なら、少しづつ、やれそうなのです。面白そうです。面白いと思うし、楽しめそうだし。やりがいが、ありそうだと思えたのです。何しろ、もう、欲望が底につく、寸前まで行ったのです。死のそばまで行ったのです。完全に消えたわけではないにしても。体が、衰えているからでもあると思いますが、もう、体力もありません。それに、死ぬまで時間がない年なのです。
やっと、自分を捨てることができる時がきたのでしょう。と、いうよりも、捨てざるを得ない年になったからかも知れません。しかし、色んなことをやってきて言えることは、自分を捨てるということが、一番素晴らしいものだと思えだしだ。ということです。
自分を、神様に返すことだ。ということです。宇宙にお返しするということだ。ということです。それが、一番、落ち着くようなのです。楽しそうなのです。そう思えだしたのです。そして、無理をしないで自然に出来そうなのです。死神が、直ぐそばまできて、体力がなくなって、やっとこさ、この一大事に気づくなんて、これも、思し召しなのだろうとは思いますが、皮肉なことです。もっと、早くから気づければ、と思うのですが、これも欲でしょう。しかし、こんな欲望はあっていいものです。意識がはっきりしている時から、あっていいものです。死に掛かってこんなことを、見つけていては遅いのです。本当は、若い時から、行動するべきことなのです。しかし、遅まきながらでもいいのです。このことに気付いただけでもいいのです。素晴らしいのです。私には、今が丁度いいのでしょう。このことが、世の中を、良くすることになるのなら、私には、丁度いい時なのかも知れません。しかしです。これが、すんなり出来ないのです。難かしいのです。これだけ、自分中心の生き方を続けた者には、本当に至難です。強欲の固まりがそれを、神様に返すなんてことは、所詮無理なのかと思ってしまうのです。毎日が、闘いです。でも、やってみたいのです。しかし、体力がありません。しかし、やってみたいのです。


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