かつひこ日記NOW

2016/06/29

「神様がついてる」
私には、神様という、私を造りたもうた、創造主が、いつもついて居てくださっているのです。
その創造主が応援してくださっているのです。世間では、認めてくださる人は少ないでしようが、この創造主はいつも励まし続けてくださったのです。
「飯が食えるくらいの理解者はきっといるよ。だから、お前はお前らしく、自分を信じて前進したらいい」と。励まされていると思っています。
ですから、一般には、分かる人が少ないけど、神様が応援してくださるから、なんとか、大丈夫だと思ってきたのです。
まったく、おかげというしかありません。
時代は変遷します。景気も、いい時も悪い時もありました。少しでも、売れると、それが続けばと、勝手に期待してしまいます。しかし、そうは行かないものです。ですから、どんな時も自分の期待を少なくして置かねばなりません。見えを張らず、まわりの評判や、思い上がりに振り回されず、黙々と、自分を見つめて行くしかないと思いました。しかし至難です。考えているつもりでも、思うようには行かないものです。家族を食わすものの責任は大きいものです。例え、私のためにという意見でも、軽々しく乗ってはならないからです。責任を考えてないものの意見には、よほどの注意がいるものです。父親の判断は、家を駄目にするかどうかの、責任がかかって来ます。毎日が、バランスの取れた判断が要求されます。そんな中で、欲を抑えて、判断をするのですから、賢くなくては、やっていけないものです。
しかし、ありがたい事に、私には、目には見えないが、いいように導いてくださる、大きな存在があったのです。それが、創造主という神様でした。

「自分の中の神様」

いつも自分の中に神さまが存在してくださっているということです。そういう自覚があるかどうかで、随分、変わってくるものです。
神様の導きを信じているかどうかで、心の平静につながるのです。これほどの安心はないのです。
「生かされている」という、気持ちです。
生活の全てに神様のご判断をいただいていると思っていたら、心は、静かになるものです。神様と二人三脚で前進していると大丈夫。という思いがするのです。この気持ちは「神様が、良いように導いてくださる」という信頼です。
どんな事が起きても、大丈夫だ。きっと、良いようにしてくださる。そういう、安心感です。そして、神様は、どんな事も引き受けてくださったのです。ですから大丈夫といつも思っていました。ですから、預けていいのだ。任せていいのだ。安心して、信じたらいいのだと思っていました。中途半端でなく、完全にお任せする。そうすると、どんな事があっても、良いようになると信じていたのです。これは、絶対なるものへの祈りです。宇宙の根源生命への、信頼なのです。とにかく、神様にお任せしたのです。
生きてるあいだは、ただ、ただ、神様と共にあることを、確かめ、祈ることしかないのです。その安定の中で呼吸させていただくだけなのです。全ては思し召し。全てはお導き。全てはお計らい。絶対なるものへの帰依なのです。
この自覚をいただいて、ただただ、神様を信じて行くのです。それが安心の世界を造るもとだと思っています。
不思議なバランスの中で生かされている。こんなめでたいものはありません。バランスは言うに言われぬ安定です。
神様と共にあると、とにかく、自由です。安心です。豐です。力が湧きます。


「釣り」
私は、満州に7歳までいたのですが、ちょうど、敏感に感動する時期だったせいか、敗戦の厳しい体験が、目に焼き付いて離れないのです。3歳からの4年間が、敗戦のすさまじい時期だったので、その記憶が鮮明だったのです。幼稚園に通っていた頃までは、平和な生活だったのでしょう。お友だちと幼稚園に通ったり、家族の温かい愛情をいっぱい受けて、幸せな幼児期を送ったのだと思っています。父が釣りが好きだったものですから、よく海に行きました。私も、小さいのに、毎回のように、ついていったのです。今でも、大きな、コチという魚を、釣り上げたのを、映画のようにおぼえています。遠いところから、釣れた魚を引き寄せた思い出は、鮮明です。それ以来、私は、日本に帰ってからも、釣りキチになったくらいです。ですから、余程、大きな感動があったのでしょう。父も本当に釣りが好きでした。しかし、それも、ソ連軍と戦い出してからは終わったのです。父は兵隊に取られて、しかし、大連の駐屯地でしたから、母とよく見舞いに行ったものです。入口の近くにさくらんぼの木があって、さくらんぼが、いっぱいなっていて、それを食べたら、甘くて、こんな美味しいものがあるのかと思ったくらいでした。父は2等兵でした。大きな身体の父は、線路を運んでいるのだと言っていました。しかし、ソ連軍の侵攻が激しく、瞬く間に劣勢になりました。

「食べものがなぃ」

戦争に負けたとたん、学校はなくりました。そんなことで、日本で、3年生に編入するまでは、勉強というものは知らなかったのです。一度だけ、小学校を見に行ったのですが、教室に入ったら、床板が全部、剥がされていました。
しかし、学校に行かない生活というものは、とてもいいものでした。その頃は、毎日がすさまじい変化でした。ロシア人がどっと入ってきて、それに、中国人も、勝者になったことで、完全に立場が逆になったのです。それまでは、奴隷扱いにして、差別していたのに、一瞬にして中国人の方が日本人を奴隷のように扱い出したのです。それまでの街は美しい、静かな街だったのですが、地獄の街になったのです。子ども心に、その情景が、まざまざと目に焼きついているのです。今でも、まるで、映画を見るように思い出されるのです。私は、小学校一年生でしたが、もう、街に出て、ソ連兵へのタバコ売りをしていました。記憶力が、最高の時代だったのでしょう。実に、鮮明に何もかもを覚えているのです。勿論、苦しさは感じていません。ただ、食料が乏しく、終戦迄は、お米も、あったのでしょうが、私には、お米の記憶はないのです。日本へ帰って、はじめて、お米の御飯というものを知ったのです。食事はこうりゃんのお粥しか食べた記憶はありません。それも、かきまぜて、フット、一粒浮いてくるといった、お粥でした。それが、当たり前だと思っているわけでしたから、食べるもののない中でも、子どもは、何も知らないままで、生きていたのだと思います。如何に、なにも食べていなかったという証拠に、母が引き揚げて帰って来たとたん、栄養失調で倒れたまま、長く快復できなかったのですから。



--------------------------------------------


本編のCD(佐藤勝彦の音楽1)は約55分の作品です。
この動画には冒頭の約4分を収録しております。CDは「アート馬の目」にて販売しております。
ご希望の方は
アート馬の目 0742-22-6795 にお問い合わせください。E-mail:di2vj7@bma.biglobe.ne.jp
「佐藤勝彦の音楽1」  No.149「精の想い」 ¥1000(税込、送料別)

本編のCD(佐藤勝彦の音楽2)は約28分の作品です。
この動画には冒頭の約4分を収録しております。
「佐藤勝彦の音楽2」  NO.150「天奏」    ¥1000(税込 送料別)

inserted by FC2 system