かつひこ日記NOW

2016/06/28

「8万枚描いた時」
私は43年前、7万5000枚の絵を10か月で描く約束をしました。一日に300枚くらい描くのですがいい勉強でした。
「生かされている」「神様に応援してもらっている」と思い続けて、描きました。
筆を持った私は、そこに何を描いたか覚えていません。ただ、生まれるものを描いて行っただけでした。
選ぶゆとりはなかったし、選ぶなんてことはできないと思いました。描かれたものは、皆が素晴らしいと思いました。「私が描いているのではない、神様が描いているのだから」とも思っていました。
ですから、ただ、神様の「思し召しの絵」としかいいようがなかったのです。
夢の中で描いているのかも知れないとも思ったほどでした。そんな中で、ひたすら描いて行ったのです。いつ起きて、いつ寝たかも分からない毎日だったのです。それでも、そんなに疲れているとは思わなかったのです。とにかく、気分はありがたい気持ちになっていて努力をしているとも思わなかったし、苦労しているとも思えなかったのです。不思議なもので、風邪も引かなかったし、事故とか災難もなかったのです。これも神様が、私に味方してくださってると思えました。ありがたかったことは、一度も、描くことが嫌にならなかったということでした。
おばあさんが、いつも言っていた、「ありがてえなあ」「おかげさんやなあ」が自分のこととしてと思えたことでした。
「生かされている」ことを気づかさせていただいたことが、こんな事に役立つとは、おばあさんの言葉を改めて思い出し、確認していたのでした。結核の時、友が、「生きてるだけで、凄いことなんだぞ」と言った言葉も元気がいただけました。

「おばあさんの言葉」

あの頃に、おばあさんと話ができたので、「ありがたい」という気持ちが、学べたのだと思いました。
あの頃は、何が「ありがたい」のか分からなかったのですが、やっと、分からせてもらえたようになったのです。
私の絵は、一般的に見たら、子供のような幼い絵ですが、私はそれを恥ずかしいと思っていないのです。厚かましいと叱られるかも知れませんが、私は、自分の絵をいいと思っているのです。勿論、いいと思えなかったら、描くことも、売る事も出来ません。
美術家は多くが、正規の勉強をして、美術展に応募して、賞をもらって、認められた人が、画家として個展が出来るというのが、常識です。私のように自分の思うように描いて行った素人の絵かきは稀だろうと思うのです。私なんか、どこの展覧会に応募しても、入選もできないだろうと思っています。
しかし、だからと言って、絵を売ってはならないということにはならないのです。そんな決まりはないのです。
ですから、それを、私は、商売にもして。それを、厚かましくも売り続けていったのです。これは、考えてみれば、凄いことなのです。何故なら、そんな絵を、たとえ、子どもの絵のようであるにせよ、56年も続けたということが凄いことなのです。私のような絵なら、誰でもが、自分でも描けると思ったことでしょう。実際、描けるのです。私に、よく似た絵は、何処へいっても、誰かが描いているものです。しかし、今までに、ずっと続けている人はありません。みな、何かの都合で、辞めて行ったのです。それほど、これで、生活するということが大変なのです。私の絵は、値段も安いのです。おそらく、美術大学の学生が、最初に付ける値段くらいだと思います。10号で10万円くらいです。一号が一万円くらいです。76才になっても、その値段でやっています。まず、この値段で、誰もがやめると思います。売れるか売れないか、わからないのですから、挑戦することに勇気がいります。たとえば、10万円の作品が売れたとします。でも、入って来るのは、まず5万円です。その5万円の中から、額縁代がいります。最低1万から2万円いります。裏打ちとか、表具代、絵の具代、車代、それから、運営費がいるのです。運営するということは、たとえば、沖縄でやるとすれば、往復切符代、2週間の滞在費、作品の運送代、案内状の作製代、2人行きますと、その食費です。まず、これを、覚悟しないと、出来ないのです。おそらく、これで、誰も挑戦しなくなるのです。一度は挑戦出来ても二度になると考えます。さてこれで、売れるかどうかが問題です。売れるという保証はないのです。今までは、景気のいい時代もありました。しかし、今は、美術売場は閑古鳥が鳴いています。誰も入って来ません。厳しい時代です。その中を続けるのです。しかし、私は家族でやっていますから、できるのだと思います。全員倹約してやるのです。そんなことでも、私は、ありがたいと思っています。それに、向こうから、して欲しいという依頼があるということです。それをこなすだけで忙しいのです。そして、それをやってると、生活することができたのです。もう40年もやり続けているデパートとか画廊があります。応援してくださっているからです。

「もぐりの、絵かき」

はっきり言って、私の絵は詐欺師というか素人画家と言われても仕方がないのです。いわば、正規の画家ではないのです。私は絵の勉強というものをやってはいないのです。大学で一応は中学校の美術の免許を貰うために単位は取ったのですが、これは、仕方なく取ったもので、自分から勉強したいと思ったのではありません。ですから、仕方なく取ったものですから、直ぐ忘れました。何をやってたか、全然覚えていないのです。
ですから、私は、絵描きという仕事を堂々とやっている積もりはありません。気持ちも、いつも控えめにしていた積もりだったのです。何しろ、これという特技というものがありません。しかし、ひとつだけ、そんなものは、笑われるようなことです。それは、鳥取の民芸美術館で見たお地蔵さんのお顔でした。いいお顔だなぁ、と思ったのです。あんなお顔が描けたらなぁ、と思ったのです。それだけです。単純な、お顔です。ちょっとだけ描いて見たのですが、案外、難しかったのです。これをマスターできたらいいなあと思ったのです。それから、毎日のように描いて見たのです。それでも、直ぐには、うまく描けませんでした。それと、いいなあと思った好きなお顔が少しづつ、変化するのです。ですから、年が経つにつれてお顔の好みが変わるのです。若い時のお顔、中年の時のお顔、そして、年取ってからのお顔、勿論、それでいいのですが、おかげで飽きずに続いたのです。私はもぐりの画家でいいのですけど、絵を描いて生活していきたかったのです。こんなに楽しく、嬉しく、面白く、自分の、思うように、やらせていただいて、もし、最低でも、飯が食えたら、最高だと思ったのです。申し訳ないけど、もしや、許されるものなら、私はやっていきたいと思いました。続けたいと思いました。絵は安い値段でもいい。家族が食えたらいいと思っていました。ですからから。「下手な絵を描いて、安く売って、恥ずかしくないのか」と言われるかも知れませんが、生活が出来たらいいからと進んで行きました。恥知らずでもいいのだ。馬鹿にされてもいいのだ。食えたらいいのだ。と思っていました。続けてさえいれば、いつか、いい導きもあるだろうと思ったのです。おかげで、この76才の年迄描かせて貰っているのです。思いもよらないことです。よくぞ無事に導かれたと思っています。江戸の頃、狩野派という専門の絵描き集団がありました。その頃、大津絵というものもありました。私は、大津絵の方です。安いから、庶民でも、買えたのです。私は、これまでに、この考えでやって来たように思っています。ささっと描いている絵です。しかし、私は、それが好きなのです。同じような絵ばかりですが好きなのです。私は、そこに、私の生き方の言葉も書き加えたのです。今、流行りの「ハガキ絵」のようなものです。私を含めたアマチュアの人達が、大勢描いておられます。あれです。ただ、私は、私を見つめるために描いているというだけのことです。同じようなものですが、私自身に向かって描いているので、私は慰められたのです。おかげで、続けれたのです。勿論、大きな絵も描いていますが変わりません。同じことです。同じ呼吸です。早さも変わりません。紙に描いたり、焼きものに描いたり、木に描いたり、石に描いたり、何でもにです。いわば、子どものいたずらみたいなものです。こんな調子ですから、疲れません。ですから、続くのです。お地蔵さんを描いていましたので、どうしても、仏教的なものになっていきました。おかげで仏教の勉強もさせていただくことができました。勿論、仏教だけではなく、キリスト教の聖書の勉強もさせていただくことができました。そして、神道も好きになりました。宗教の全部が好きになりました。私は毎日が安心して暮らしておりますが、どの神様にも助けられています。それと、そういう書籍にも助けられております。どこへも出かけることはないのですが、外に出かけなくても、十分豊なのです。狭い私の部屋で、十分楽しいのです。


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