かつひこ日記NOW

2016/06/13

「水泳部」

水泳部では、私は、一番先頭になって練習に励みました。一日のノルマの倍の距離を泳ぐように自分に課せました。水泳を選んだのは、中学の時に、家の裏山にある溜池で、毎日のように泳ぐのですが、兄と、何かを競う時に、水泳だけは何故か、勝ったことがあったのです。私は、いつも相撲や柔道で何回やっても勝ったことがなかったのです。ですから、水泳で勝ったことは、私にとって、その頃の一番の喜びだったのです。一度だけではなかったのです。何回やっても勝ったのです。私はそのことを不思議に思っていました。ひょっとして、自分には水泳に向いている素質があるのではないかと思いました。ですから、大学に入って、クラブを決める時、一度自分を試して見たいと思ったのです。入部した時は、私は、まだ、クロールなどで泳ぐことはできませんでした。何せ、泳いだ経験のあるところといえば、溜池か川をせき止めたところか、それくらいだったのです。プールなどで泳ぐなんてことは、夢の夢だったのです。見た事もなかったのです。一度でいい、プールというところで泳いで見たい。ということも、入部の条件に入っていたのです。プールに入れるという喜びがあったのです。ですから、入部して早く先輩達のようになりたいと、強く憧れたのです。何の泳ぎも知らないで、入部したのは、勿論、私だけでした。ですから、私だけは特別のコースで特訓させられました。端っこのコースの、そのまた、半分のコースが私の特別なコースでした。とにかく、私は、マネージャーが、プールから出ていいと言われる迄、上がることは許されませんでした。水泳というのは不思議なもので、とにかく沢山泳げばどんどん上達するものだと思いました。何せ、凄い早い上達だったのです。あっという間に、全ての泳ぎをマスターしてしまったのです。色んな型を泳がさせられました、ある日、マネージャーが、「お前、バックをやれ」というのです。「背泳に向いてる体形をしている」というのです。私は、そんな事は、何もわからなかったのです。ただ、マネージャーの奨めることを信じたのです。マネージャーの言った通り、背泳は、みるみるうちに上達して行ったのです。私のほかの学生は、皆、小学校の時から、プールで水泳をしていたもの達ばかりで、色んな水泳大会の経験者でした。私も確かに、裏の溜池で泳いだ経験はあったのですが、誰も、指導する人もいないのですから、話しになりません。我流で、しかも、犬かきといって、誰でも、それが最初の泳ぎ型なのです。池は濁っていましたし、直ぐ深くなって、危険なところでした。当時は、特別に禁止するなどの規制がなかったものですから、少人数で、池の隅で泳ぐしかなかったのです。泳げる種目があるとすれば、平泳ぎと犬かきくらいだけだったのです。でも、大学での毎日の特訓は、凄いものでした。一日6000メートルくらい、泳がさせられたのです。これだけ、泳いだら、どんな者でも、一人前の選手に成れること間違いありません。あっという間に私は、ベテラン達の仲間入りをしたのです。コースも一本与えられるようになったのです。何しろ憧れのプールで泳げるのですから嬉しかったのです。
国立5大学水泳競技大会というのが、毎年行われていました。私にとっての初年度は島根大学で行われました。宍道湖の側にあった、美しいプールでした。私はすでに競泳に出場できる力を持っていたのです。背泳の部門の100メートル競泳に出場したのです。でも、初出場で4位だったのです。それでも4位は立派な事だったのです。私はその時から、俄然、水泳に力を入れたのです。夏には、合宿がありました。鳥取から、大分離れた川の近くでしたが、川の水を引いた冷たいプールでした。そんなプールを借りきっての合宿でした。猛烈な練習です。苛酷過ぎて、食べたものを吐き出すのです。もう限界まで、とにかく泳がされるのです。何キロ泳いだかわからないのですが、とにかく、ダッシュ20本すると、インターバル20本、流し10本、そしてまた、ダッシュ20本、そして、また、流し、その繰り返しを一日中やるのです。昼、食事をして、休憩したら、また、ダッシュ、10本、また、インターバル20本、流し、延々とその繰り返しでした。ダッシュというのは、思いきり、泳いで、スピードを出し切るのです。これは、苛酷でした。そんな事を続けるのです。馬鹿になれないと出来ませんでした。食事しても吐くのです。それでも続けるのです。

「背泳で優勝」

私は、その頃、絵が描けませんでした。何故描けないのだろうかと悩んでいたのです。描けないということは、どこかにまだ、人に褒められたいと思う根性があるからだと思いました。この、いいかっこ、の欲望を、なんとか叩きつぶせれないかと思っていたのです。
しかし、これは、簡単に取れるものではなかったのです。私は、この見栄という欲望。この魔物と戦かっていました。私の、その頃の日記に、「芸術は苦しみなり」と書いてあるくらいですから、余程、苦しみを求めたところがあるのです。自分をとことん痛めたのです。私と同じ種目の選手が居ましたが、合宿での苛酷過ぎる練習で、彼は逃げ腰になっていました。すでに勝負が決まったと思いました。彼は練習が、もっと楽になって欲しいといっていたのです。そこを、どう受付とるかが、大きな問題なのです。私は、自分をとことん痛める目的がありましたから、どんなに練習が苛酷になっても、いや、苛酷に為ればなるほど、私は喜んだのです。ここで勝負が決まったのです。私は、ベテランの彼をその時点で精神力で抜いたのです。競泳というものは、だいたい、皆、似たり寄ったりなのです。違うところは最後の10メートルが勝負なのです。皆、疲れてるのですが、その段階で、力を出せれるかどうかなのです。そのために、苛酷な練習が必要なのです。楽な練習をいくらやっても意味がないのです。マンネリをいくらやっても無駄なのです。日頃から、私は寝ない、食べない、そして練習は2倍やる。そうすれば強くなると信じていたのです。これは、ある意味で賭けです。へたをすれば身体を壊すからです。しかし私は、それを実行したのです。これは自分だけの判断です。2年目は鳥取大学での大会は鳥取市のプールで催されました。きっと、それがあるから猛烈な練習をさせられたのでしょう。私は100メートル背泳の部門で、奇跡的な、優勝を遂げたのです。200メートルでは2位でした。新聞にも大きく出たくらいです。次の年は広島大学でありました。その時は100も200も2位で大会新でした。


--------------------------------------------


本編のCD(佐藤勝彦の音楽1)は約55分の作品です。
この動画には冒頭の約4分を収録しております。CDは「アート馬の目」にて販売しております。
ご希望の方は
アート馬の目 0742-22-6795 にお問い合わせください。E-mail:di2vj7@bma.biglobe.ne.jp
「佐藤勝彦の音楽1」  No.149「精の想い」 ¥1000(税込、送料別)

本編のCD(佐藤勝彦の音楽2)は約28分の作品です。
この動画には冒頭の約4分を収録しております。
「佐藤勝彦の音楽2」  NO.150「天奏」    ¥1000(税込 送料別)

inserted by FC2 system