かつひこ日記NOW

2016/06/12

「合格の通知」

その頃、本宅の隣にもう一軒、長屋を建てることになったのです。柱までは大工さんが建てて、後は、父と私達が、やるのです。丁度、屋根瓦を屋根の上に乗せていた時、郵便屋さんが来て「電報です」というのです。私は、その時、屋根の上にいましたので。手を伸ばしてその電報を受け取って中を開いたのです。すると「サクラ、サイタ」というのでした。ヒョットしたら、合格かと思ったのです。父に言うと、「そうじゃ」というのです。なんだか嬉しい気持ちになりました。すると。今までおぼえていた参考書の丸暗記の記憶が全部消えて行くのです。私は、もう1つ山口大学を受けようと思っていましたが、もう、全部忘れてしまったようだったので受けるのを諦めました。それで、私の受験は終わりました。

「入学」

なんだかわからないまま、とにかく、大学というところに入ったのです。一気に暗記しただけでしたから、すぐに忘れてしまいました。ところが、大学へ入っても、まだ、試験はあったのです。仕方なく、授業を受けました。しかし、こんなもの、勉強したって、何になると、いつも思っていました。しかし、だからといって、受けない訳にもいかず、嫌々ながら、みんなと同じようにしていました。やはり試験日があって、真面目な学生は高校の時と同じようにやっているのです。私は高校の時も勉強したことがありませんでしたから、今更、勉強なんかする気持ちになれませんでした。できるだけさぼって単位を取ろうと思っていました。高校の時はカンニングしたことはなかったのですが、大学では大いにカンニングをしたのです。隣り合わせに座って答案を盗み見る。先生に、じかに、頭を下げてお願いに行く、特に、ドイツ語の授業は、こんなものは馬鹿らしくて、絶対出来ないと思ったものですから、先生にお願いするしかないと思いました。恥じを忍んで、先生の研究室に行きました。正直に「絶対、出来ませんので、何とか、お願いします」と懇願しました。無茶な話しです。しかし、私はこんな試験を何回受けても、出来ないことだと思いました。もう、後はどうなろうと、思し召しに、従うしかないと思いました。一応、試験を受けました。結果は、絶対だめだと思っていました。もしか、落第でしたら、何年も掛かるだろうし、おそらく、何年たっても、ドイツ語なんてものは、しないだろうと思っていました。ところが、通知簿を貰って開いて見ると、「不可」という処に、丸が付いていましたが、それがペケになって、「可」になっていたのでした。堪らなくありがたいと思いました。申し訳ないと思いました。もう、先生の研究室に向かって、頭を地に付けて、お礼申し上げました。それほど、ありがたかったのです。同じ美術の先輩は、そのドイツ語の一教科の為だけで、卒業する迄に、8年掛かったのです。ですから、よけい嬉しかったのです。それと、友人が、話しを、持ってきてくれたことなのですが、英語の試験の印刷物があるというのです。「先生が、刷った試験の問題をごみ箱から拾ったけど、佐藤君、私の家にきて、手伝ってくれ、」というのです。彼の部屋は、がりばん用紙で一杯になってたのです。これは、医学部らしい。これは、農学部らしい。これは教育学部らしいと調べるのです。がりばん用紙の下に、新聞紙を敷いて、そっと、上を撫でるのです。すると、何処の学部の試験問題かわかるのです。彼が、「これだ、これだ」と言って、見つけるのです。私は、何処の試験のものか、何もわからないのです。彼は、「ここだけ、辞書を調べて、ちゃんとやっとけ」と言って、教えてくれたのです。ほかの学部の試験問題も、それぞれ呼んでいました。そういう恐いことをして、とにかく勉強しなくても試験に合格するように助けてもらったのです。それでも、「優」ではなく「良」だったのです。如何に英語も駄目かということです。その代わりというのはおかしいですが、自分のやりがいのあることには、一生懸命になったのです。もう、必要としないことを覚えることは、やりきれない気持ちでした。かといって、アルバイトばかり、したということではなかったのです。ただ、私がしたいことを思い切りしていったのです。色んな体験をしました。なんでも、やって見ました。知らないことはやって見たかったのです。どうせ忘れる勉強のようなことは、一切しませんでした。それより、身体に、覚えさすような事はして行ったのです。一応、アルバイトも何でもしました。家庭教師はやりましたが嫌いでした。それよりも、まだ、肉体を使った、土方、掃除、片付け、大型ごみの廃棄、ゴルフキャディ、ポスター貼り、運送業、運転手、世論調査員。特に世論調査員で県内のあちこちに行くのは、実に、勉強になりました。何しろ、色んなところへ行って色んな生活を見ることが出来たのですから。ありがたかったのです。私は高校生の時、自動二輪車の免許を取っていたので、それが軽自動車の免許に格上げになって、それで、あちこち、行くことが出来たのでした。自動車の免許は、アルバイトに大いに役にたちました。岡山県の田舎だけしか知らなかったものですから、やたらに、知らないところへ行けたのでした。それで給料が貰える。素晴らしいアルバイトだったのです。そんな生活をしながら、友人に頼まれて、ボーイスカウトの隊長もやりました。これは、あちこちに子どもを連れてキャンプをするのです。野外生活を子どもと一緒にするのです。これも野宿をするのにはいい勉強になりました。それから水泳部にいましたから、水泳の練習です。後は美術部の生活です。美術部の連中は、皆、議論が好きでした。夜遅くなっても平気でした。腹が減るとたいてい、食パンの耳かクラッカーの崩でした。それを砂糖水に浸けて、空腹を紛らわしていました。議論で喧嘩のようになったら、「そんなら、実際、見に行って確かめようじゃないか」ということになって、次の日は京都の美術館へ出掛けて行ったり、大阪へ行ったりしたのです。そんなことで、皆、変人の集まりばかりでした。しかし、それが面白くて楽しくて、また議論して夜更かしするのです。
不規則な生活をして、それで運動して、そして食べない。食べないのではないのです。お金がなくて、十分に食べれないのです。お金があると絵の具に変わるか、京都や大阪に行く汽車賃です。しっかりと食べてさえしていたら、結核などしないのですが、それが出来ない。若気の至りというか、知恵のなさなのでしょう。何故か食費にお金を使うことが、勿体ないような気がして、出来なかったのです。大学の食堂で、一応、食べてはいるのですが、ぜんぜん足りないのです。それ以上の体力を使っていたのでしょう。夜眠らないというのも、身体を痛めた原因になったと思います。



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