かつひこ日記NOW

2016/06/08

「満州で」

満州で、タバコ売りを、させられても、あの、危険な中でも、街頭に、立つ事が出来たのも、父に対する絶対なる、信頼があったからだろうと思います。タバコ売りに出ろというわれたら、何の疑いもなく街頭に立つのですから、凄い信頼です。
終戦になった、ある日、海釣りに連れて行って貰いました。電車の終点のところから、暫く歩くのです、そこから、釣りが出来る、父の行きつけの釣り場があったのです。父は、その岩場の突先で海水の飛沫を浴びながら、竿を延ばして釣るのです。そこは、しぶきで、濡れるものですから、褌一つでした。私は父が見えるところで、服の番をしてたのです。ずっと、服のそばにいたのですが、一瞬離れたのです。その隙に、父の服が消えたのです。中国人の子どもらに盗られたのです。私の油断でした。しかし、父は、一切、私を叱りませんでした。父は裸のまま電車に乗ったのです。父は何も言わず、電車の中で褌一ツで立っていました。堂々としていました。私は、父は「偉いなあ」と思ったものでした。きっと、こんなことからでも、余計、父を信頼する、気持ちが育ったのかもしれません。とにかく敗戦の中で生き抜くことは、父も、私も、生きるか、死ぬか、そんな厳しさの中で生きなければならなかったのです。弱い人間は、死ぬしかなかったのです。母が言ってました。「お父さんはなあ、大学を、出て、なかったから、良かったんじゃ」その頃は、その意味がわからなかったのですが、つまり、下級サラリーマンだったから、ソ連兵の残虐な、襲撃から免れたと言うのです。敗戦と、同時に、ソ連兵が、どっと襲って来たのですが、襲うところは、みな、高級住宅だったのです。父は低所得達が住む、マンションでしたから、ソ連兵の標的から、外れたのです。高級住宅地の、人達は言うに言われぬ、残虐な行為で蹂躙されたのです。父も、母も当時の話しを、帰って来てからも、一度もしなかったと言うことは、よほど、それが言葉に出せれないほどの残虐さだったからなのです。銃を、突き付けられて、犯す、盗む、殺す、それが平気なのです。日本人は為されるがままだったのです。私が街頭で、タバコ売りを、している最中にも、よく、悲鳴が聞こえるのです。それは、娘を奪われた母親の悲鳴でした。勿論、街に、娘を連れだすなんて、危険極まりないことなのですが、何かの事情があったのでしょう。その頃の、娘の人は、みな男のように変装して、顔は黒く塗って髪は坊主にしてわからないようにしていたのです。それでも、見つけられるのです。おっぱいがあるか、触って調べるのです。それから、トラックに、引きずり込まれて、それで終わりです。用が済む迄、犯され続けるのです。こんなことが日常茶飯事なのです。如何に、残虐な行為が繰り広げられていたか、これ以上の残虐さはないと思います。満州の、北部の方の人は、ソ連兵が、侵入してきた時、当時の関東軍から、自分達で戦えと言って、銃を持たされたと言うのです。銃を持った事がない人にです。勿論、どうすることも出来ません。男は殺されるか、生きていたら、シベリアへ連れて行かれたのです。守るべき関東軍は、東南アジアに回されたのです。関東軍は、唯一日本人を、守るべき軍隊だったのです。それが、いなくなったのです。残された、女、子どもは、みな心中したり、蹂躙されたり、子どもは中国人に、貰ってもらったり、生きて、帰ったものは、ごくまれだったのです。ようするに、棄てられたのです。帰って来れても、そんな、酷い体験を、口に出すものはいなかったのです。しかし、私は、目の前で見ていたのです。今でも、思い出します。その度に、怒りが、こみ上げて来ます。戦争と言うものは、本当にひどいものです。地獄です。敗戦から、2年と言うものは、それは、それは、地獄の毎日でした。日本人は奴隷にされたのです。守ってくれるものがありません。食べるものもありません。みな、引き揚げ船が来るまで、必死で待ったのです。その日が、いつかわからないのです。とにかく、その日まで、何とかして生き延びるしかないのです。食べるものがないということは厳しいものです。食べれるものは、コウリャンのお粥が、せいぜいでした。お粥と言っても、かき混ぜても、ところどころに、コウリャンの粒が現れるくらいです。妹が赤ちゃんだったので、ビタミンの補給は公園の草でした。母と一緒に草探しに行きました。どの草が食べれるか覚えてしまいました。しかし、草でさえ充分になかったのです。食べるものがなくて、もうギリギリのところに来ていたのです。帰って来て、母が栄養失調で一年間寝たきりに、なったくらいですから、如何に、何も食べるものがなかったかです。食うということが、如何に、厳しいものかを思い知らされたのです。私が、後の人生に食べることに執着したのも、この体験が身体に染み付いて、忘れられないからだろうと思ったのです。
帰って来ても、誰にも、頼ろうとしない父は、北海道の炭鉱を選んだのです。北海道の炭鉱へ行ってたら、どうなっていたことかと思います。しかし、今こうして無事だということは、やはり、神様の導きとしかいいようがありません。何かしら、いい導きをいただいてると思います。きっと母の熱烈な信仰によるおかげなのでしょう。本当に、いいように、いいように導かれたのです。母が、岡山で途中下車したいといったのも、岡山に住むようになったのも、そして、大学に行けたのも、友の死にあったのも、教師になれたのも、そして絵かきになれたのも、父母に孝行できたのも、癌にならせていただいたのも、全てが、いいように、いいようにという導きなのです。神様が、いいようにしてやりたいという願いを、持ってくださったからでしょう。私が過去を振り返るとき、偶然とは思えない、神様の優しさを感じるのです。願ってくださっている、祈ってくださっていると思えて仕方がないのです。ですから、私はいつも神様に祝福されている、守られている、愛されていると思っているのです。私に丁度いい祝福の贈り物は、今も続いているのです。感謝しても、仕切れないほどなのです。良いようにしてくださるという確信があるのです。凄いことです。



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