かつひこ日記NOW

2016/06/02

「縄ない工場」

毎日のように、藁を大八車に山のように載せて運びました。坂の多い道でしたから、父ひとりでは、無理でしたから、私達も後ろから、押すのです。そうやって買った藁を運ぶのです。それを、綺麗に解すのです。藁を適当に分けて、それを、柱に打ち付けて、要らぬ藁を取り除くのです。それを子ども達がするのです。父と母は機械の中に5、6本づつ入れて行くのです。機械が常に動いていますから、ちょっとでもまごついて、遅れては駄目なのです。私は5、6本に分けて、手渡すのです。順調に行くとひとつの大きい固まりができるのです。一日分のノルマがあったようで、それは、真剣でした。なぜかというと、ちょっとでも油断すると、直ぐに詰まるからです。すると、時間が大幅に遅れるのです。一家総出で働きました。ただ、ほぐした藁の山に潜って遊んだことが、懐かしく思い出されます。藁の中に隠れて遊ぶのです。軽い藁の中でしたから、深いところ迄潜ったものです。藁の薫りが今でも忘れられません。

「小学校3年に編入」

学校の方は、特別にそれまでの遅れていた分を取り戻さねばと、いうことはありませんでした。いつの間にか、みんなに馴染んで行ったようでした。担任の先生も、最初は早川先生という先生で、優しい女の先生でした。いつも、学校の裏山に、連れて行ってもらっていました。授業をしたことなんてなかったように思いました。4年生の担任は、石橋先生という先生で、怖い怖い先生でした。一度、弁当を忘れたことがあったのですが、先生は自分の弁当の半分を私にくださったのです。先生は、それ迄にお菓子を作っておられたようで、私の家にお菓子を作って、もってこられたことがありました。いつも、兵隊服を着て、笑った顔は見たことがありませんでした。でも、弁当を分けてくださってから、ああ、優しい先生なのだと思いました。学校を、やめて、お菓子屋さんになられたと母に聞いたことがあります。その頃、学校は、今までの教育と違ったものになったので。どのようにしたらいいか、先生も迷って居られたのでしょう、何だか、みんなで遊ぶことが多かったように思いました。子ども達にとっては、ありがたい毎日だったのです。先生がたも、何をどうしたらいいのか、授業がきっとできない時だったのです。先生方も、みんな笑顔が多かったように思いました。小学校はそんな事でいいのでしょう。教育ということでは、理想的な時だったのでしょう。教育方針がないということが子どものためによかったのだと思ったのです。何だか、安心で自由だったのです。

「宮井先生」

5年生からの2年間は宮井満好先生という若い先生でした。この先生は、いつも笑顔のある優しい先生でした。その上、スポーツ万能で、運動会の時、先生が走ると、どんな時も、ごぼうぬきで、何人も追い抜くのです。まるでスーパースターでした。いつも私達に勝利をもたらしてくださったのです。それに剣道3段、という先生でした。私の絵も喜んでくださって、私は、いつも教室の後ろの壁に貼ってくださったのです。5年生の時、隣村と合同の展覧会に、私の絵を出品してくださって、その時金賞をもらったのです。私にとっては、後にも先にも、初めての受賞だったのです。大学に入って、小学校の教員の免許だけではなく、もうひとつ、中学の教員免許を取るように言われた時、色々考えてみて、結局、美術を選択したのも、この5年生の受賞があったからなのです。私が今、画家になったのもこの時のことがあったからだと思っているのです。

小学校3年生から、一挙に、1、2年と行かずに編入したのですが、勉強で遅れたということもないまま進級できたのです。だんだん皆と馴染んで、進級でき、特に、宮井先生という先生が大好きだったので、急に勉強ができるようになったような気がするのです。先生は、子ども達とよく遊んでくださったのです。先生が剣道の達人だったので、私達はよく先生に紙で作った棒みたいなものを作って、それで先生に挑んだものです。

「先生が宿直する日」

先生の宿直の晩は、数人で宿直室に泊まるのです。すると、先生が、近くの店に買い物に行かせるのです。その頃は、子どもが勝手に、店で買い物はできませんでしたから、先生の代わりに買い物へ行くのです。それは、実に楽しみだったのです。先生の命令ですから、お店のおばさんにそれを告げるとおばさんもニコニコしながら、歓迎してくださったのです。嬉しかったものです。その中にいつも飴の注文が、入っているのです。それは、私達の最高の楽しみでした。飴がどんなに、美味しかったか、そして、私達と一緒に先生も舐めるのでした。嬉しい、嬉しい、宿直の夜だったのです。その頃から、私は、音楽会にも、よく歌わされていたように思います。ただ、音楽会で一人で歌うのは少し嫌でした。その頃、歌を歌うということは、女の子が歌うものだと思わされていましたので、何だか女々しいことをさせられてると嫌ってたのです。しかし、なぜか独唱させられていたのです。私の憧れは、スポーツのできる人間になりたいと思っていましたから、音楽では、私は、嬉しくなかったのです。勉強はした記憶がありません。その代わり、魚取りは、自信がありました。毎日のように、ただ、ただ魚取りでしたから、魚取りのプロだったように思います。それが、学校の勉強よりずっと、私には役にたったように思っています。これと言って、何も秀でたものはなかったのですが、釣りだけはプロでした。自分で言うのはおかしいですが、今でも、そう言えると思っています。とにかく、魚は賢いのです。真剣に付き合わないと捕ることはできないのです。その点、すごく勉強させられました。学校の勉強はしませんでしたが、釣りの勉強は大いにしたと思っています。今でも、毎年夏になると海に潜っていますが、魚を見るだけで興奮するのです。嬉しくて、ワクワクするのです。76歳になっても中学生の孫には負けません。


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