かつひこ日記NOW

2016/05/30

「母は金光教」
母は、金光教の信者でしたので。我が家には、よそにあるような、お仏壇はなかったのです。押入れの上の段に、小さな鏡と御札のようなものが1つづつあったような気がします。
しかし、毎朝、母親のお祈りの姿は、見ているのでした。お祈りの言葉は、「なんまんだ」という感じではなくて、神社の祝詞のようなものでした。「かむろぎ、かむろみ」と聞こえていたように思います。でも、毎朝でした。その後は、「何でも、神様がえーようにしてくださるけーのー、お陰を、うけーよー」でした。
とにかく、我が家には、母の金光教の御札と鏡だけで、文化的な匂いのものは、一切なかったのです。それは、引き揚げ者のせいにも寄るのだろうと思います。一切何も持って帰れないのですから、仕方ありません。裸一貫でしたから、やむを得ません。
ですから、宗教も、芸術も、そういう言葉も、まったくと言って、縁はなかったのです。
ただ、おばあさんの「ありがてえなあ」母の「おかげを、受けーよー」の言葉は、それが宗教に関係するのだろうということを大人になって知ったくらいでした。しかし、二人共、信心深い人達でした。しかし、後々になって思ったのですが、何もないところに神棚だけあったというのも、それはそれで良かったのでしょう。すべてがありがたい導きになっていたのです。

「母の琴」

芸術も、芸術という言葉も、まったく縁はなかったのですが、ただ、母は、お琴を時折、夜中に弾いていたことを覚えています。それが、芸術ということと関係があるということは、これも、大人になって知ったくらいでした。他は、絵の一枚も飾ってない家だったのでした。それほど、生活に余裕というものがなかったのです。
芸術という言葉も、大学生になって初めて知ったのです。二十歳に結核になって入院して、そこで、初めて宗教というものに興味を持つようになりました。そして、芸術についても関心を持つようになったのです。そういう世界に疎いというか、環境もなかったし、随分奥手な出発だったのでした。
叔父が、岡山県の高粱市出身の清水比庵という文人の絵を好んで集めていたので、色々話をしてくれたことくらいでした。
しかし、それも、二十歳過ぎてからのことだったのです。私が大学生になって美術部に入ってからのことでした。私は、はっきり言って、美術部に入って、先輩からの指導を受ける迄は、芸術の「芸」の言葉の意味すらも、まったく知らなかったのでした。
それほど、それまでの学校生活で、芸術という世界は縁がなかったのでした。ただ、母は、幼い子供の頃に、鶏に目をつつかれて片目を失いました。それで、母は宮城道雄という琴の先生の元で琴の修業をさせられたのです。私は詳しいことは知らないのですが、51番目の弟子だったそうです。それが、どういうことか、わからないのですが、かなりやってたのだろうと思います。ですから、夜な夜な、真っ暗のところでも弾けたのかもしれません。むしろ、その方がよかったのかもしれません。みなが寝静まってから弾いていたのです。私はその旋律を何曲か覚えてしまったくらいです。母の琴も、そう言えば、音楽なんだと大学へ行って知ったのです。ですから、今私がピアノを触るのは、どうも、母の夜中の琴が、関係してるかと思います。私は琴を玩具のように思っていたと思います。ですから、よく触って遊んだ思い出があります。何故か琴だけはあったのです。見よう見まねで「六段」という曲が弾けるのですが、不思議なことです。


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